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PROJECT STORY

名古屋環状2号線の建設に
情熱を注いだ技術者たち

名古屋市の外周部を環状に結ぶ名古屋環状2号線は、
高速道路の「名古屋第二環状自動車道」(名二環)と国道302号から構成され、
企業活動や物流の効率化、地域の活性化などに大きく貢献している。
このプロジェクトに参画した昭和土木の4人の技術者たちの動きを追った。

川崎 拓也

2010年入社
(10年目)
工事部

竹谷 暁文

2003年入社
(17年目)
工事部

酒向 泰康

2005年入社
(15年目)
工事部

大田 雅和

2000年入社
(20年目)
工事部

chapter01暮らしに不可欠なライフライン構築で社会貢献

 私たちの暮らしに欠かせない電気・ガス・水道などのライフラインを道路の下に収容するための地下トンネルを「共同溝」という。そこには人が内部に入ってメンテナンスを行うための空間や照明・換気設備なども設置される。まさに“溝”というイメージをはるかに超えた巨大構造物だ。

 昭和土木が名古屋環状2号線で共同溝の工事を担当したのは平成21年から約2年間。現在は10年以上のキャリアを有し、工事部主査として腕をふるう川崎が当時を振り返る。

「入社して初めて従事した工事であり、たくさんの知識や経験を自分のものにしようと意気込んで取り組みました」

 昭和土木として請け負った工事は仮設工から開削土工、現場打構築工まで多岐にわたるが、川崎は現場担当員として測量、安全管理と施工管理の一部を任せられる。

「わからないことが多い中で、できあがるもののスケールの大きさに圧倒され、自分に務まるのかとても不安でした。ただ先輩方を筆頭に協力業者さん、職人さんが積極的に話しかけてくれて、ずいぶん気持ちが楽になりました。わずか2年あまりで巨大構造物ができていく様子はまさに圧巻でしたね」

 やがて工事の完成を待たずに別の現場に異動する川崎だが、現在まで仕事をこなしてきた原動力がすでに身についていたと感じたという。

「完工した後に元の現場にも行ってみたんです。自分が関わってできたものがそこに確かに存在することを心の底から誇らしく感じました」

 聞けば幼い頃から社会の役に立つことが夢だったという。

「どんな仕事でも社会貢献はできると思いますが、土木の仕事では何かをつくって形に残すことでストレートに世の中の役に立っているという実感があるのではないでしょうか」

 そう熱く語る川崎の眼差しはすでに次の現場を見すえている。

chapter02発注者や地域住民との調整役として奮闘

 平成23年12月に国道302号東南部地区の4車線化が完了したが、地域住⺠に関わる側道などでは未整備の状態が数多く残されていた。そこで限られた期間内での未整備箇所の整備が急務とされた。そこで現場代理人として、発注者や関係機関、地域住⺠との調整、協力業者との施工方法の検討や工程調整を担ったのが竹谷だった。
「膨大な施工量が広範囲に点在し、工事内容も多種多様で、また関係機関との調整も複雑であり、期間内に要望通りに工事を完成できるかという不安でいっぱいでした」

 ある時は、現地の状況とあわず図面通りに施工できない。ある時は地域住⺠との調整が進まず予定通りに工事ができない。また、高速道路会社や区画整理組合、占用業者など関係機関との調整も工程に大きく影響を及ぼした。
「迫りくる工期と膨大な施工量で、正直なところ現場はピリピリした雰囲気の時もありました。しかし最後は工事担当者全員が一丸となって前向きな気持ちで工事完成を目指していきました」

 無我夢中で工事に向きあう余り、完成時も実感はほとんどなかったという。
「でも、それから数年後に当時の監督支援担当者と再会した際、かつての厳しい言葉ではなく『よくあの工事を終わらせたな』と声を掛けてもらえたのは本当にうれしかったですね」

 いま、名古屋環状2号線を車で通ると、あれもこれも自分でつくったのだと当時を思い出してニヤニヤしてしまうという。
「苦労したことや大変だったことばかり思い出すのですが、いまとなっては全て笑い話であり、よい思い出です。あの困難に打ち勝ったからこそ現在の自分があると感じています」

 地域社会に根ざし、人々のくらしの根幹を支える自信と誇りが竹谷の表情に浮かんだ。

chapter03日本の大動脈である高速道路建設を推進

「さあ、いよいよ銘板を取り付けるぞ」。同僚の声に酒向の顔がぱっと輝きを増す。思えば難工事であった。名古屋環状2号線の「名古屋西JCT」と「飛島JCT」を結ぶ高速道路事業の一端を担う飛島大橋の工事は昭和土木にとっても重要案件であり、社内外からの期待も高かった。
「私にとっては一級土木施工管理技士の資格を取得して直後の工事であり、国土交通省の現場代理人としても初めての工事でした。本当に自分にできるのかという不安と、必ず成功させるという強い決意を持って向きあいました」

 その工事が工期2週間を残してほぼ完了。最後に工事内容を記載したプレートを橋脚・橋台に取り付ける“銘板工”という最終段階に入ったのだ。
「自分の名前がそのプレートに刻まれたのは本当にうれしかったですね」

 工事段階で酒向の役割は発注者との調整、地域住民との工事調整、協力業者との工程調整など。工期が厳しい現場であり、当初は“本当に終わるのか?”と思えて仕方なかったというから調整の苦労も察して余りある。

「工期内に終わらせるという意気込みが大きく、私たちや作業員の方の毎日の焦りや緊張感は凄かったと記憶しています。当初はわからないことだらけで、ともに工事を行ってきたベテランの先輩に厳しいこともいわれました。それでも様々な知識や経験を学ばせてもらい、何とか先輩に付いていこうと必死でした」

 そんな気持ちが報われたのか、いまも大橋梁のたもとでは酒向の名を記した銘板が燦然と輝く。これは一つの勲章であり表彰状でもあるだろう。
「いま、昭和土木に入ってよかったか? と聞かれたら迷わずよかったと答えます。自分が仲間たちとつくったものが後世まで残るという喜びは他の仕事にはないものだと自負しています」

chapter04“雨にも負けず”の精神で橋梁構築に挑む

 橋脚構築は「一度発進すると後戻りできない工事」だとされる。それゆえ施工計画を立てるには、事前に施工条件など綿密なデータを収集し、予想されるリスクを十分に検討しなければならない。
「いちばん記憶に残っているのは、初めて名古屋環状2号線の本線部の橋脚を構築する工事でした。本体工事に着手するまでも大変で、国道302号に隣接していて施工ヤードが非常に狭く、協力会社と何度も打ち合わせを重ねて施工手順を練り上げしました。

 監理技術者として主に施工管理(出来形、品質、工程、安全)を担当した大田はそう語る。
「それにこの工事では1日のコンクリートの打設量がとても多く、打設日の天気予報を確認して予定通り行えるかの判断に苦慮する場面をよく思い出します。無事に打設できたと思っても夜間に突然の雨が降ったこともありました」

 また現場代理人の年齢が近く、お互いに自由に意見をいえる関係が築けたことも大きな力になったという。

 「社内の風通しのよさも昭和土木の大きな魅力だと思います。職人さんも上司もやさしいし、若い社員にも手取り足取りというスタイルで教えてあげる感じですね」

 最後に、巨大な構造物をつくることの魅力を聞いてみた。
「やはり事前の計画の大切さですね。大きなものをつくるのは大変ですが、完成した時の達成感はとても高いですよ。そして、昭和土木は愛知県や名古屋市に密着した仕事をしているので、地域の街づくりに貢献できるという醍醐味もあると思います」

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